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by hibikiei

震災日録 〜森まゆみさんより〜

新聞や雑誌を見るだけで胸が苦しくなります。
でも、震災、原発事故は現実に起こった事なのです。

東京に在住の時からの25年来の仲間の森まゆみさんよりこんな連絡がきました。

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サイトで書いたものを貼付けます。
●震災日録 22日 森まゆみ

森まゆみです。いま九州から帰ってきました。
さいわい宮城県丸森からは引き上げたところでした。ご心配かけました。



オール電化住宅でひどい目にあったという話。ガス、石油、電気、薪ストーブなどオルタナティブな熱源があった方がいい。景色がいいからと高い超高層マンションを買ったとて、エレベーターが止まったら高齢者など避難はできません。

丸森町は福島県境、宮城の南限の里山でそれほど被害はなかったようです。
しかし18日くらいまで友人知人にはまったく連絡とれず。
丸森は、今は福島原発近くからの避難者を350人引受けているようです。
しかしガソリンがなくて手も足もでないそうです。
八島やという何でも屋さんは小売値でガソリンを仕入れ、その価格で売っています。
峠を越えた隣りの相馬、新地、山元町、岩沼、名取あたりは壊滅です。
津波が海沿いの低地の田畑をなめていった映像のあたりです。楽しい思い出がいっぱいありますが。
丸森で一番仲良しだった30代の真理ちゃん、わが妹のようなひとも連絡とれなかったのですが無事がわかりました。那須町の道の駅で農産物普及のマネージャーについたところ、野菜出荷停止となり、その上、道の駅が被災者受け入れの窓口になるそうです。

町作りの面から一言。

三陸へ行くと、明治2年の津波のときここまで水がきた、これより海際に家を建てるな、と書いてあるのに、いっぱい家が立っていて恐いなーと思います。『失敗は伝わらない』、本当です。

町作りも防災も歴史に学ぶことが必要です。
瓦礫の撤去が終わったら、戻ってまた家を建てると被災者はいっていますが、海際は捨てて山ノ上にコミュニティは生かしたまま、町を再建したほうがいい。

イタリアなどではマラリアやペストの猖獗のころ、高燥な山の上に町を造りました。なかなかこじんまりしていいレストランもあって、楽しそうな町が多いです。
不便なら香港みたいにエレベーター、エスカレーターをつけたらいい。

想定外の津波にやられたので、もっと高いコンクリの防波堤をつくる、というような開発土建主義の復興を続けさせてはいけません。どんなコンサルが入るか、によって相当復興のし方が違ってくるでしょう。

森まゆみ(2011年3月22日)

●震災日録 24日 森まゆみ

きのう、谷根千地区古書ほうろうで『昔日の客』の著者関口良雄さんをしのぶ息子さんの直人さんのコンサートがありました。雨にも関わらず55人参加、みんな不安ななか、集まる所を求めているのだと思いました。静かな歌を一諸に歌いました。

丸森町は福島に陥没したような町なので原発50キロ圏で、ヒッポ地区では住民の避難が始まっているようです。
『樅の木は残った』の舞台船岡のはとこは「森家はみな無事、しかし夫はいないし、姑がデイホームがなくて電気もつかない中介護が大変。食糧はとなり近所が助けてくれる。水は23日やっと出た、余震が大きくて恐くて風呂に入る気がしない」とのこと。
角田の障害者施設虹の園は「みな無事、でも障害者雇用施設のピザハウスは山元町にあって流された」とのこと。
仙台文学館は天井が崩落、再開のメドが立たず、館員の赤間さんは5歳時を山形の両親に預けて働いています。仙台-山形間のバスはあるようです。
石巻の日本で唯一の茅葺き屋根の熊谷産業では『社員は無事、しかし社屋、家屋跡形なし。対岸の小学校100人中90人行方不明」だそうです。涙がこぼれます。

那須の妹分真理ちゃんは仮住まいで荷物がほどけないので、まゆみさんにもらった『舞姫』と『円朝ざんまい」をむさぼるように読んだ。することないし、読書は心を支えてくれる、といっていました。
千駄木の川本眞理さんも被災者には食糧が最優先だけどおもちゃや本も届けたい、といっていた。おもちゃもゲームも教科書も流された子供たちもいます。

都のアイソトープ研究所の友人は毎日深夜まで検査です。
水道のヨウ素は心配する値ではないが、8日で半減するので汲み置いて使うこと。活性炭を入れるとかなり効果あるといっています。彼の話は25日夜に聞きます。これについてはアグネの権上さんから。

友人知人のみなさま
権上かおるです。BCCいっせい送信、またご不要の場合、ご容赦ください。
都合により、雨研HPのメンテができないでいますが、市民科学研究室のHPにおもなものが掲載いただいております。その他の情報も充実しています。ご参照ください。
→[提言]放射能汚染に対する生活上のアドバイス(NPO法人 市民科学研究室)

(http://blogs.shiminkagaku.org/shiminkagaku/2011/03/post-42.html)

82歳の老母の素朴な疑問

・シートベルトとかシューベルトみたいなあれ、なんなの?
・福島原発がいつできたかって、最初の頃ずっと言わなかったわね。4 0年と言えばロートルよね。
・いまのところわかりません、確認中ですって、わからないもの作らないでほしいわね。
消防の人はたしかによくやるけど、中にいる作業員は誰で、どこで、何やっているのか、何も報道はないわね。
・設計した連中はもう退職して、古い電化製品だから部品がないんじゃないの?
・NHKのアナウンサーは「だいじょうぶなんですよね」と念を押すだけ。自分が恐いのね。民放の方がキャスターが現地へ飛んでいるわよ。
・あんなの見てると気分悪いから、BSで仕掛人梅安見てるの。
・わたしは薬のないとこ行く気はないし、「ただちに人体に影響ない」ったって10年後にでるんでしょう。でもそのとき92だから ね、逃げることないわよ。


25日、森まゆみ発。

山崎佳代子『解体ユーゴスラビア」という本がありました。
ユーゴの内戦を一主婦の目で生活からとらえたものです。
被災地はとりあえず屈強で経験豊かなNGOやジャーナリストに任せて、今の東京を記録しておくのもいいと思います。

九州から帰ると羽田空港も節電、歩く舗道が止まっていた。
三田線もエスカレーターは止まり、エレベーターだけ動いていた。電気も半分くらい。

不要不急のものが売れない。お花屋さんでは、チュ-リップを10本400えん。ピンクのを買ったら黄色いの10本、おまけにくれました。

サトコは町のお店でで牛乳をタダで配布していたので2本もらってきました。

美容院は、いつもなら卒業式でかきいれどきなのにひまだって。結婚式も中止であがったり。

白山の火風鼎は、つゆの材料(魚介類)が入らないのでつけ麺は休み。

居酒屋みさきでは、水道水にヨウ素検出で水割りをどうつくるか、なやんでいた。

千駄木の天米。お彼岸時は客が多いのに、少なくて困っている。さいわい材料は西のものが多い。市場はむしろ余り気味。築地までのオートバイのガソリンが心配。

帰宅難民、文京区ッてホントに坂が多いわ。四ッ谷から千駄木まで歩いた人、紙が入らないので雑誌も大幅変更。茨城の印刷会社が止まり困っている。

私の4月から始まるはずのY紙の連載も延期、いつになるかわからない。
4月の講演も二つキャンセル。フリーはつらい。

原田病の目には今くらいの光量の方がまぶしくなくてありがたい。白内障、緑内障の人たちにとってもいいはず。
タクシーはリーマンショックで売り上げ半減、今はそのまた半分、暮らしていける売り上げじゃない。全部歩合制なので。

荒川のこっちは真っ暗、足立区側は耿耿と電気、腹が立つ。埼玉在住者。
林町東町会のはりがみ。『明るさに協力』、どういう意味だろう。

千駄木小学生たちはオレンジ色の防災ずきんを被り、雪ん子みたいに集団下校。
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by hibikiei | 2011-03-30 13:08 | 仲間からの連絡