日々更新


by hibikiei

しなやかさ

澄み渡った晴れの日、でも風は厳しく冷たい。
桜の花、モクレンの花は咲き山の風景は春らしくなって来たが、例年の様に
心うかれる事ができない、どこか後ろめたいのである。
震災から時間が過ぎ日常になればなるほど、罪悪感のようないたたまれない思いが強くなる。

平成22年度卒業式、鷲田清一総長式辞に救われたおもいがした。
心の奥底に響いた。

平成22年度卒業式・学位記授与式 総長式辞
本日ここに集われた 3507 名の学部卒業生のみなさん、2063 名の大学院修了生のみなさん、 そして博士の学位を授与された 569 名のみなさん。この卒業と修了の式にあたり、これまでみな さんが尽くされた努力と研鑽とを、大阪大学を代表して心から讃えたいと思います。また、この 日まで長きにわたってみなさんの勉学と研究を支えてこられたご家族の方々に対しても、ここに 深く敬意を表したく存じます。
みなさんには真っ先にはなむけの言葉を贈らねばならないところですが、今日はなんとして もこのたびの震災のことから始めないではいられません。
途方もない災害が起こってしまいました。
きょう卒業式を迎えられたみなさんのなかには、家族を、あるいは家を失い、不安に押しつぶ されそうになっておられる親族、友人、知人がおられ、その人たちのことが片時も頭から離れな い方がきっとおられるでしょう。また、ここに集われたみなさんの半数近くは、16 年前のあの阪 神淡路大震災を身をもって体験しておられるはずです。学部の人なら小学校に入られたころ、 大学院の人なら小学校の高学年くらいだったでしょう。そのときの恐怖やその後の苦難をまだ 体の記憶として残したまま、今回の震災の報にふれ、あらためて慄然とされたことでしょう。その 一人であるわたしも、深夜に電気を消すのが不安で、寝るときはいまも蛍光灯をつけたままにし ています。ですから、このたびの地震から2週間経ったいまも、電源を落とした避難所、あるい は孤立した民家で異様なほどに静かな漆黒の夜を迎えておられる人たち、暗闇のなかで「命が け」の冷却活動にあたっておられる作業員たち、自身も被災しながら夜を徹して救援活動や医 療活動にあたっておられる方々、その人たちの心持ちを察すると、いまわたしたちがこうした照 明の下でみなさんの卒業と修了とをともに讃えあえることが申し訳なく思えてきます。
被災地のひとたちと、被災の全貌を知ることができずに遠くから案じるだけのわたしたちのあ いだには、どうしようもない隔たりがあります。被災の現場に行って被災者の方々にインタビュ ーする放送記者の人たちと被災者のあいだには、おそらくもっと大きな隔たりがあるかもしれま せん。それはちょうど、介護施設でスタッフが食事のお世話をしながら「おいしい?」と訊ねるこ とと、ユニットケアの施設でスタッフが入所者の人たちと同じ食べ物をともに口にしながら「おい しいね」と囁きあうこととのあいだの落差のようなものだと思うのです。
別の言い方をするなら、被災地にあっても、被災地から遠く離れていても、いま、「生き残っ た」という思いに浸されている人はけっして少なくないでしょう。「生き延びた」ではなく「生き残っ た」というこの感覚にはどこか、被災しなかったこと、あるいはそれがごく少なかったことへの申 し訳のなさのようなもの、罪悪感のようなものがつきまといます。こういう隔たりはだれもすぐには 埋められません。すぐには超えられません。
そうしたなかで、いま遠くにいるこのわたしたちのなしうることは限られています。物資や義援 金を送ること。移送の道を、避難の道を塞がないこと。買いだめせずに、いつもより消費を控え ることでできるだけ多くの物資が被災地に回るよう心がけることなどです。復興には相当な時間 がかかるでしょうが、被災者の受け容れから現地での支援活動まで、遠くにいるわたしたちにも できることがいずれ見えてきます。その準備にあたることが、いまわたしたちにできる精一杯の ことです。
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こうした〈隔たり〉について、もう少し考えてみようと思います。
いまわたしは、控えめの生活をすることが、被災に遭わずにすんだ者にできる精一杯のこと だと言いましたが、逆に、余所では普段どおりの生活をしているということが復興に向けての「希 望」になる、あるいは経済的支援になると考える人もいるはずです。被災地でも同様のことはあ るでしょう。上空を旋回する報道のヘリコプターの轟音に、救出を求める人の声が聞こえないと 憤る人もいれば、「だれかが見守ってくれている」と感じる人もいるでしょう。人の思いというもの はこのように、立っている場所でずいぶん異なります。同じ被災地のなかでも〈隔たり〉はあるの です。
阪神淡路大震災のときに、わたしは当時神戸大学の附属病院に勤務しておられた精神科医 の中井久夫先生から一つの言葉を教わりました。copresence という言葉です。中井先生はこの 言葉を「いてくれること」と訳し、他人の copresence が被災の現場でいかに重い意味をもつかを 説かれました。被災直後、中井先生は地方の医師たちに救援の要請をなさいました。全国から 多くの医師が駆けつけたのですが、中井先生はじめ神戸大学のスタッフが患者さんにかかりっ きりで、応援団になかなか交替のチャンスが、回ってこない。そのうちあまりに長い待機時間に 小さな不満が上がりはじめたとき、中井先生はその医師たちに集まってもらい、「予備軍がいて くれるからこそ、われわれは余力を残さず、使いきることができる」と語りはじめました。そして、 「その場にいてくれる」という、ただそれだけのことが自分たちのチームにとってどれほどポジテ ィヴな意味をもつかを訴えられたのです。じっと見守ってくれている人がいるということが、人を いかに勇気づけるかということは、被災の現場だけでなく、たとえば子どもがはじめて幼稚園に 行ったときの情景にも見られることです。子どもがはじめて幼稚園に行ったとき、母親から離れ てひとり集団のなかへ入ってゆくときの不安は、だれもが一度は経験したはずです。ちらちら母 親のほうをふり返り、自分のほうを見るその顔を何度も確認しながら、恐る恐るやがて仲間となる はずの見知らぬ他者たちの輪のなかへ入ってゆく......。人にはこのように、だれかから見守ら れているということを意識することによってはじめて、庇護者から離れ、自分の行動をなしうると いうことがあるのです。そしていま、わたしたちが被災者の方々に対してできることは、この見守 りつづけること、心を届けるということです。
さて、みなさんは、大阪大学におけるさまざまな専門の勉学と研究とを今日を一区切りとして 終え、これから社会のさまざまな現場に出てゆかれます。そしてそのなかでさらに、何かのプロ フェッショナルとしてみずからを鍛え上げてゆかれることでしょう。
けれどもここで心を留めていただきたいのは、プロフェッショナルがその専門性を十分に活か すためには、専門領域の知識だけではどうにもならないということです。なぜなら、一つの専門 性は他の専門性とうまく編まれることがないと、現実の世界でみずからの専門性を全うすること ができないからです。一つのアイディアを制度として定着させようとするとき、一つの発見を医 療の現場で活かそうとするとき、さらには一人の画家の仕事をまとめ展覧会を開こうとするとき、 法律や経理、調達や広報といった別のプロフェッショナルたちとしっかり組まなくてはなりませ ん。
別の領域のプロフェッショナルと同じ一つの課題に共同で取り組むことができるためには、自 分の専門的知見について、別の専門家(つまりそれについてのまったくの素人)に関心をもっ てもらえるよう、そして正しく理解してもらえるよう、みずからの専門についてイメージ豊かに説
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明することがまずは必要です。彼らにその気にならせないといけないからです。そしてさらにそ のためには、異なる分野のプロフェッショナルたちのこだわりをよく理解し、また深く刺激するよ うな訴えかけをしなければなりません。別のプロの、自分とは異なった視線、異なった関心をそ れとして理解しようとせず、自分の専門領域の、内輪の符丁で相手を抑え込もうとする人は、そ もそも専門家として失格なのです。ここでもあの、〈隔たり〉をしっかり見つめるということが大切 です。同じことは医療スタッフについても言えます。プロとしての自分たちの思いとはうんと隔た ったところでものを感じている患者さんやその家族の思いに、十分な想像力をはたらかせられ ない医療スタッフは、プロとして失格なのです。
みなさんは学業において優秀な成績をおさめられ、社会に出てもさまざまな場所でこれまた 優れたリーダーたることをめざしておられるかもしれません。もちろんそれは間違いではありま せん。けれども忘れてはならないのは、だれもがリーダーになりたがるような社会はすぐに壊れ るということです。一つの事業を成し遂げるには、リーダーとともに、脇役や黒子やコマが要りま す、昨今、リーダー論の本が書店には溢れていますが、そしてちょっとひねくれた言い方にな るかもしれませんが、そもそもリーダー論に素直に従うような人はリーダーになれないということ もあります。リーダーたる人は前例を踏襲せずに、みずから道を開いてゆく人であるはずだから です。
リーダーシップについて論じ、なんとも深い味わいがあるなあと感心した言葉があります。そ れは、パナソニックの創業者、松下幸之助さんが自社の管理職員の前で話した言葉です。松下 幸之助さんは「成功する人が備えていなければならないもの」として、「愛嬌」と「運が強そうなこ と」と「後ろ姿」という、意外な三つを挙げました。理由はあえて説明せずに、です。この三つの 条件について、わたしはこんなふうに解釈しています。
「愛嬌」のある人にはスキがあります。無鉄砲に突っ走って転んだり、情にほだされていっしょ に落ち込んでしまったりする。だからまわりをはらはらさせる。わたしがしっかり見守っていない と、という思いにさせるわけです。
次に、「運が強そうな」ひとのそばにいると、何でもうまくいきそうな気になるものです。その溌 剌とした晴れやかな空気に乗せられて、一丁こんなこともやってみるかと冒険的なことにも挑戦 できます。
次に、だれかの「後ろ姿」が眼に焼きつくときには、見ているほうの心に静かな波紋が起こりま す。寡黙な言葉の背後に秘められたある思いに想像力が膨らむのです。あの人は何をやろうと しているのか、何にこだわっているのか、ついそのことを考えてしまいます。
そう、見る人を受け身ではなく、能動的にするのです。無防備なところ、緩んだところ、それに 余韻があって、それが他人の関心を引き寄せてしまうからです。
軸がぶれない、統率力がある、聴く耳をもっているなどといった心得も、たしかに大事でしょう。 が、この隙間、この緩み、この翳りこそ、人の関心を誘いだすものなのです。組織とは言うまでも なく人の集団です。そして、一人一人が受け身で指示を待つのではなく、それぞれにそれぞれ の能力を全開して動くそのときに、組織はもっとも活力と緊張感に溢れます。上司の命を待つの ではなく、一人一人が自分の頭で考え、へこたれずに行動できる組織がいちばん活力がある のです。getting things done by others. そういう意味では、リーダーがいなくていい組織を作れ るのが真のリーダーだと言えるかもしれません。
みなさんに卒業後求められるのは、専門家としての技を磨くことであるとともに、「成熟した市
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民」「賢い市民」になることです。市民社会、その公共的な生活においては、リーダーは固定し ていません。市民それぞれが社会のそれぞれの持ち場で全力投球しているのですから、だれ もいつもリーダー役を引き受けられるとはかぎりません。だとすれば、それぞれが日頃の本務を 果たしつつ、public affairs については、あるときは「いま仕事が手を抜けへんので代わりにちょ っと頼むわ」、あるときは「本業のこと、ほんとは心配なんやろ、しばらくはおれがやっとくわ」と いうふうに、それぞれが前面に出たり背後に退いたりしながら、しかしいつも全体に目配りして いる......そういうメンバーからなる集団こそ、真に強い集団だということになるでしょう。いいか えると、日々それぞれの持ち場でおのれの務めを果たしながら、公共的な課題が持ち上がれ ば、だれもがときにリーダーに推され、ときにメンバーの一員、そうワン・オブ・ゼムになって行 動する、そういう主役交代のすぐにできる、しなりのある集団です。その意味では、リーダーシッ プとおなじくらい、優れたフォロワーシップというものが重要になってきます。自分たちが選んだ リーダーの指示に従うが、みずからもつねに全体を見やりながら、リーダーが見逃していること、 見落としていることがないかというふうにリーダーをケアしつつ付き従ってゆく、そういうフォロワ ーシップです。
良きフォロワー、リーダーを真にケアできる人物であるためには、フォロワー自身のまなざしが 確かな「価値の遠近法」を備えていなければなりません。「価値の遠近法」とは、どんな状況にあ っても、次の四つ、つまり絶対なくしてはならないもの、見失ってはならぬものと、あってもいい けどなくてもいいものと、端的になくていいものと、絶対にあってはならないものとを見分けられ る眼力のことです。映画監督の河瀬直美さんの言葉を借りていいかえると、「忘れていいことと、 忘れたらあかんことと、それから忘れなあかんこと」とをきちんと仕分けることのできる判断力の ことです。こういう力を人はこれまで「教養」と呼んできました。
昨年亡くなられた文化人類学者の梅棹忠夫さんは、亡くなられる直前のインタビューにおい て、いつも全体を気遣いながら、自分にできるところで責任を担う、そういう教養のあるフォロワ ーシップについて語っておられました。そしてその話をこんな言葉で結ばれました。——「請わ れれば一差し舞える人物になれ」。
もしリーダーに推されたとき、いつでも「一差し舞える」よう、日頃からきちんと用意をしておけ、 というのです。わたしはみなさんに、将来、周囲の人たちから、「あいつにまかせておけば大丈 夫」とか「こんなときあの人がいたらなあ」と言ってもらえる人になっていただきたいと心から願っ ています。そう、真に教養のあるプロになっていただきたいのです。そのために大学に求むる ものがあれば、いつでも大学に戻ってきてください。大阪大学はそうした学びの場をいつでも 開いておきます。
最後になりましたが、みなさんお一人お一人がこれからの長い生涯、幸運に恵まれ、悔いの ない人生を送られることを祈りつつ、わたくしからの式辞とさせていただきます。
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# by hibikiei | 2011-04-04 19:41
続き

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# by hibikiei | 2011-03-30 13:40 | 仲間からの連絡
新聞や雑誌を見るだけで胸が苦しくなります。
でも、震災、原発事故は現実に起こった事なのです。

東京に在住の時からの25年来の仲間の森まゆみさんよりこんな連絡がきました。

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サイトで書いたものを貼付けます。
●震災日録 22日 森まゆみ

森まゆみです。いま九州から帰ってきました。
さいわい宮城県丸森からは引き上げたところでした。ご心配かけました。

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# by hibikiei | 2011-03-30 13:08 | 仲間からの連絡

ノルウェイの森

恥ずかしながら村上春樹氏の作品はあまり読んでいない。
一時期流行の様に誰もが読んでいたので、
ちょっとへそ曲がりな私はあえて本を開かなかった。

1月の末、連れ合いと「ノルウェイの森」の映画を観た。
不思議な作品である。
死の方に向かっている直子と、生に向いている緑と言う象徴的な二人の女性が登場する。
その生と死の間を行き来する青年ワタナベが成長していく作品である。
人間が成長していく中で大切なものがこの作品のなかにあるように感じた。

映画そのものは今ひとつキャスティングが、、、という思いはあるものの
ひとつの作品として、伝わってくるものがある。
孤独の中で傷つき、戦いそれでも生きていく、、
人間として歩きだし成長していくのである。


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# by hibikiei | 2011-03-23 01:12

自然からの試練

平和な國、個性、生き甲斐、私らしく、それぞれが生かされているという本質的な感謝の想いのない「もっともっと」と言っているさなかに、どーんとおきた自然からの試練
これは私たち人間に突きつけられた大きな山であり大きな波なのでしょうね、、、
私たちが互いに思いやり、支え合いながらもう一度生かされている事に感謝し大地に一歩を踏み出しましょう。
そんな事をここ何日か、感じていました。


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# by hibikiei | 2011-03-23 00:27